青い空の会
昨日、中学校の体育館にて生徒たちみんなに -青い空の会-のメンバーによる「読み語り」が行われ、私もその中の一人として参加してきました。
メンバーは、原村在住のお母さんたちで、実は国際交流メンバーの人もいたりして、声をかけてもらったのがきっかけです。
政治的な団体ではなく、ただただ、戦争は絶対に二度とやってほしくない、何気ない日常がとてつもない平和な時間であることを子供たちに伝えられれば、との思いでやっているお母さんたちなのです。
もう10年くらい続いているそうです。
この会では、これから大人へと育っていく子供たちに、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さ、平和であることの大切さを伝えていきたいという思いで、広島に原爆が落とされた時、当時の広島二中の先生と生徒が全滅した時の記録、「いしぶみ」という本から抜粋して読んでいます。
「まちんと」という絵本をパワーポイントを使って映しだしてくれるお母さんがいたり、音響操作を担当してくれるお母さんがいたり、全体の流れを見てアドバイスしてくれるお母さんがいたりで、みんなで作り上げていきました。
私は長崎出身です。小さい頃から平和記念像を身近に見て育ってきました。
祖父は、爆心地近くにあった本原小学校の校庭に集められた多くの方々の遺体を荼毘にふしてあげたそうです。父は当時三菱造船所のタンカーの底で作業をしていて、この世のものとは思えないような凄い閃光が背後に光るのを見たのでした。
子供の頃、原爆資料館で見た当時のパネル写真、怖かったですね。
毎年、小学校の夏休み登校日に、黙祷を捧げ身近に『原爆』というものを意識して育ってきましたが、長崎を離れてもうずいぶん長い時間が過ぎています。
高度成長のさなか、家族を持ち子育てしながら夢中で時が過ぎていく中で、戦争のこと、原爆のこと、あまり意識せずに暮らしてきたと思います。
それが、ここ原村に来て、こういう会に巡り合ったのは、やはり何かの縁なのでしょうか?
戦争を知っている人も、原爆を知っている人も、その記憶を有する人々が時と共に少なくなっていくのは避けられないのですから、次の世代に引き継いでいくのは必須だと思い、一緒に参加させてもらいました。
隣の茅野市には、運動公園という大きな市民のグランドがあるのですが、そこに『原爆の火』というものがあります。広島、長崎、以外の場所にそういった原爆にまつわるものがあったのだと知ったのは驚きでした。
茅野市役所には、原爆資料館に展示してあるものと同じパネル写真が保管してあり、そのパネルを貸していただけるのです。
図書館や体育館の入り口にいくつかピックアップしてパネルを展示しました。
広島や長崎に住んでいる子供たちならこういった写真を目にする機会もありますが、他の県に住む子供たちは原爆資料館にまでなかなか足を運べないでしょう。
修学旅行で長崎に来ることの多かった頃は、必ず資料館へも行っていたと思いますが、今は修学旅行は海外が多いですし、長崎に来る学生たちは減っていると聞きます。
広島でも同じ状況でしょう。
でもこうやって、子供たちが少しでも原爆の事に触れるチャンスがあってよかったな!と思うわけです。
そういう時間を中学校の先生方が子供たちにも、青い空の会にも用意して下さったのはありがたい事です。
読み手のお母さんたちも、少なからず演出したんですよ。
麦わら帽子をかぶり、白いブラウスとモンペや綿のズボンやスカートと白い靴下をはいて・・・
中学生達にはどう映っていたでしょうね?
メンバーは、原村在住のお母さんたちで、実は国際交流メンバーの人もいたりして、声をかけてもらったのがきっかけです。
政治的な団体ではなく、ただただ、戦争は絶対に二度とやってほしくない、何気ない日常がとてつもない平和な時間であることを子供たちに伝えられれば、との思いでやっているお母さんたちなのです。
もう10年くらい続いているそうです。
この会では、これから大人へと育っていく子供たちに、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さ、平和であることの大切さを伝えていきたいという思いで、広島に原爆が落とされた時、当時の広島二中の先生と生徒が全滅した時の記録、「いしぶみ」という本から抜粋して読んでいます。
「まちんと」という絵本をパワーポイントを使って映しだしてくれるお母さんがいたり、音響操作を担当してくれるお母さんがいたり、全体の流れを見てアドバイスしてくれるお母さんがいたりで、みんなで作り上げていきました。
私は長崎出身です。小さい頃から平和記念像を身近に見て育ってきました。
祖父は、爆心地近くにあった本原小学校の校庭に集められた多くの方々の遺体を荼毘にふしてあげたそうです。父は当時三菱造船所のタンカーの底で作業をしていて、この世のものとは思えないような凄い閃光が背後に光るのを見たのでした。
子供の頃、原爆資料館で見た当時のパネル写真、怖かったですね。
毎年、小学校の夏休み登校日に、黙祷を捧げ身近に『原爆』というものを意識して育ってきましたが、長崎を離れてもうずいぶん長い時間が過ぎています。
高度成長のさなか、家族を持ち子育てしながら夢中で時が過ぎていく中で、戦争のこと、原爆のこと、あまり意識せずに暮らしてきたと思います。
それが、ここ原村に来て、こういう会に巡り合ったのは、やはり何かの縁なのでしょうか?
戦争を知っている人も、原爆を知っている人も、その記憶を有する人々が時と共に少なくなっていくのは避けられないのですから、次の世代に引き継いでいくのは必須だと思い、一緒に参加させてもらいました。
隣の茅野市には、運動公園という大きな市民のグランドがあるのですが、そこに『原爆の火』というものがあります。広島、長崎、以外の場所にそういった原爆にまつわるものがあったのだと知ったのは驚きでした。
茅野市役所には、原爆資料館に展示してあるものと同じパネル写真が保管してあり、そのパネルを貸していただけるのです。
図書館や体育館の入り口にいくつかピックアップしてパネルを展示しました。
広島や長崎に住んでいる子供たちならこういった写真を目にする機会もありますが、他の県に住む子供たちは原爆資料館にまでなかなか足を運べないでしょう。
修学旅行で長崎に来ることの多かった頃は、必ず資料館へも行っていたと思いますが、今は修学旅行は海外が多いですし、長崎に来る学生たちは減っていると聞きます。
広島でも同じ状況でしょう。
でもこうやって、子供たちが少しでも原爆の事に触れるチャンスがあってよかったな!と思うわけです。
そういう時間を中学校の先生方が子供たちにも、青い空の会にも用意して下さったのはありがたい事です。
読み手のお母さんたちも、少なからず演出したんですよ。
麦わら帽子をかぶり、白いブラウスとモンペや綿のズボンやスカートと白い靴下をはいて・・・
中学生達にはどう映っていたでしょうね?
by coco_lohas
| 2010-07-07 10:22
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